山行レポート 
 
     
     
猪名寺 廃寺跡 2020年11月01日(日)  田能遺跡顕彰碑 

  ランク S : 距離 7 .0km : 歩行時間 2時間10分 : 天気 晴れ
CL  №1205 T.K : SL №1218 K.K
参加人数 20名 (男性 6名 ・ 女性 13名)
レポート №1807 T.T : 写真&地図  №1807 T.T  : 編集 №1807 T.T  

・兵庫史を歩く№11は山の会では地元ともいえる阪神間の尼崎市に古代遺跡を訪ねた。
・7世紀後半に建立されたといわれる「猪名寺廃寺跡」はその痕跡としてわずかに塔の心柱の礎石が残るのみであるが、
 礎石の大きさや廃寺跡の広さから往時の繁栄がしのばれた。
・「田能遺跡」では昭和40年に工業用水配水場の建設工事の際に発見、発掘されたという経緯、そして多くの市民が
 調査に加わって貴重な弥生時代の遺構、遺物の発見があり、続いて起こった保全運動の結果が遺跡の保存、保全となり、
 建設予定地の一部変更や昭和44年の国の史跡指定にもなったという感慨深いエピソードを聞くことができた。 
・秋晴れのもと、尼崎市と豊中市に隣接する猪名川、藻川の土手を中州に広がる公園を眼下に見ながら参加者一同
 ウオーキングを楽しんだ。



猪名寺廃寺跡  
猪名寺神社・猪名寺廃寺跡 
 
JR猪名寺駅から閑静な住宅地を抜けて北東に
行ったこんもりした小さな森が「猪名寺廃寺」の
遺跡地である。
,猪名寺の創建は7世紀後半とみられる。
寺の規模は現地形から約160m四方と推定され
伽藍配置は「法隆寺式」であったとわかっているが伽藍は1577年に荒木村重と織田信長の戦乱に
より焼失し、廃寺となったと推定される。
礎石はほとんど散逸しているが、僅かに塔の
心礎石だけが隣接する法園寺本堂北側に
保管されている 。
 法園寺
     
  塔の心礎石
長径2.35 m、短径1.9 m、高さ1.1 mの花崗岩製で心礎から推定して塔の高さは29.69 mの
三重塔であったと推定されている
 



  佐璞丘公園 (さぼくがおかこうえん)   
猪名川の西岸から昆陽にかけての広大な土地は往古湿気の少ない台地で猪名野と呼ばれ笹の名所として
知られた名勝の地であった。
小倉百人一首で紫式部の娘大弎三位の和歌「有馬山いなのさゝ原風ふけばいでそよ人をわすれやわする」は
この地を詠んだ歌らしい。
廃寺跡の地名は現在は猪名寺1丁目であるが旧字名は佐璞丘といわれていた。
約2万㎡の寺域の森はエノキやムクノキの蘇生する貴重な河畔林であるが手入れがなく荒れ放題であったのを
平成22年から地元の住民の手で「万葉の森佐璞丘再生プロジェクト」として再生が取り組まれている。
     



 
尼崎市立農業公園にて
平安時代には「橘の御園」といわれた貴族の荘園があった敷地面積3万5千㎡の
園内には四季を通じてボタン、サクラ、バラなどの花々が咲く市民憩いの公園である


田能遺跡

 昭和40年に尼崎、伊丹、西宮の三市共同による工業用水園田配水場の建設工事中に大量の
弥生土器が発見され、この場所に大規模な弥生時代の遺跡があることが判明した。
その後の調査から住居跡や土坑、柱穴、溝、墳墓などの遺構が発見され弥生時代のほぼ全期間に
及ぶ大集落であることが確認された。
当時は高度経済成長期の真っ只中で配水場建設は阪神工業地帯のために欠くことのできない
大プロジェクトであったため、当初は調査終了後は遺跡は破壊する予定であった。
しかし一般市民も参加する熱心な調査の進捗状況の中で保存運動が高まり、昭和41年に建設施設の一部の
予定地を変更して遺構、遺物の出土した調査区を中心とした約5200㎡の保存が決定した。
昭和44年には国の史跡に指定され、翌年には資料館も開館して遺跡から出土した遺物の収蔵、展示が
されている。

     
田能遺跡正面玄関    学芸員の方に説明を受ける 

         
 方形竪穴住居    木蓋土壙墓
(木棺埋葬は弥生時代の特徴である)
  高床倉庫 

 
 稲刈り疑似体験
 実りの秋を迎えた古代米を石包丁を
使って稲刈りをした。
体験者曰く「以外に切れ味はよかった!!」



     
猪名川公園
 明治期以来度々水害の被害にあった猪名川の蛇行部分は1965年に「利倉捷水路」工事として蛇行する
猪名川を直線化する工事が行われた。結果尼崎市椎堂と豊中市利倉の間の蛇行部分が直線化された。
旧堤防部分は自然林の広がる公園になり、旧猪名川をせき止めた堤防跡には周辺の関係した旧3村の一文字づつをとって名付けられた「利椎富池(としとみいけ)」がある
 

コース&タイム (地図はこちら)
JR猪名寺 9:45/10:05 ・・ ・猪名寺廃寺跡 10:20/10:30 ・・・ 法園寺 10:30/10:35 ・・・ 佐璞丘公園 ・・・

10:40/10:45 ・・・ 農業公園(昼食) ・・・ 田能遺跡・資料館 12:10/13:10 ・・・ 猪名川橋 ・・・ 園田競馬場

・・・ 猪名川公園・猪名川自然林 13:40 ・・・ 公園(ミーテイング) ・・・ 阪急園田

リーダーのコメント
・兵庫史No.11は、はるか昔にタイムスリップ!!
・今回は、はるか昔に思いを馳せ、7世紀後半に建立されたといわれる「猪名寺廃寺」と弥生時代の遺跡「田能遺跡」を訪ねた。
・「猪名寺廃寺跡」は、こんもりとした森を背景に「摂津国猪名寺廃寺跡」の石碑が建つのみで発掘調査の結果の160㎡の
 法隆寺式の伽藍がそびえていたという面影はなかった。
・「田能遺跡」は昭和40年に工業用水園田配水場の建設工事で偶然発見された、弥生時代ほぼ全期間に及ぶ大集落である。
 当初は調査終了とともに破壊される予定であったが保存運動により重要な部分が保存されている。
・資料館で学芸員による1時間弱にわたる熱心な説明を受けることができた。
・農業公園ではバラの満開が見られて楽しめたが、コスモスは一輪のみでこれからかな?と感じた。

 
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