山行レポート

 兵庫史№34 : 播磨 大歳山遺跡公園から五色塚古墳
2023年3月18日(土) 

ランク S : 距離 6km : 歩行時間 1時間55分
CL  №1205 T.K : SL №1218 K.K
 参加人数 6名 (男性 2名 ・ 女性 4名)
資料提供 №1205 T.K : 写真&地図&編集 №1807 T.T      
 

コース&タイム 
 (「海を眺めながらの古墳巡り」レジメはこちら) (地図はこちら) 
JR朝霧(9:55)・・・大蔵海岸(10:00/10ミーティング)・・きつね塚古墳(10:25/35)・
大歳山遺跡公園(10:55/11:10)・・苔谷公園(11:35/12:15昼食)・・五色塚古墳(12:45/13:15)・・
史蹟保存緑地(13:20/30ミーティング)・・(13:45)JR・山電垂水

リーダーのコメント 
 兵庫史を歩くNo.34  海を眺めながらの古墳めぐり                              
 ・ウエザーニュースのピンポイント天気予報で現地は午前10時には雨が止むとのことで、集合を30分遅らせて実施した。見事に予報通りでスタート時には雨はやんでおり、間もなく晴れてきて、楽しい古墳巡りができた。ただ多くの会員は雨と判断したか、参加者は少なかった。                    
 ・副題にも書いていたが、このコースは明石海峡・明石海峡大橋・淡路島を眺めながら歩くことができ、素晴らしかった。特に大歳山遺跡公園・苔谷公園・五色塚古墳は共に展望抜群であった。          
 ・今回の例会の目玉は五色塚古墳であった。謎多き古墳といわれ、被葬者が誰か議論をよんでいる。
当時周囲には田畑もなく、人も住んでいなかったこの地に突然現れた巨大古墳。海峡を行き交う舟から望む巨大な建造物は現在では明石海峡大橋であるが、1600年あまり前はこの五色塚古墳が人々の目を奪ったであろう。海峡を通過する人々を威嚇するとともに権力を誇示するに十分であろう。
さらに対岸の淡路島からわざわざ運んだ黒い石で古墳を覆っていたという。被葬者はこの地を支配していた豪族だろうと言われるが、そんな単純ではないだろう。当時奈良盆地で権力を拡大していた「ヤマト王権」と特別信頼関係にあった豪族、あるいは「ヤマト王権」が派遣した人物ではなかったか。この五色塚古墳は「ヤマト王権」が重要拠点に打ち込んだ楔ではないかと思えてならないこの巨大古墳に立って海を眺めていると、ますますこの思いが強くなる。

 

         
   朝霧歩道橋プロムナード
「昨年ソウルでハロウィーンの時に起こった圧死事故と同じ事が
日本でもあった。20017月の花火大会歩道橋事故である。
圧死者11名の内実に9名が幼い子供であった。事故現場には
犠牲者を悼んで「想い」の像が建立されている。

     
JR朝霧駅は明石市の最も東端にある駅ある。
駅の南側には大蔵海岸が一望できるが
駅の山側の東方向は急坂の住宅街が続き途中
神戸市との境となるあたりには急流の疎水が流れていた  


         
きつね塚古墳(神戸市指定史跡)
 明石海峡を見下ろす丘陵にある直径24mの円墳である
樹々の間から明石天文化学館が遠望できた


     
 大歳山遺跡公園
明石海峡を望む標高30mの高台にある遺跡で発掘調査により縄文時代から弥生時代に集落が
営まれていた痕跡が見られ、前方後円墳や竪穴式住居が復元された複合遺跡がある遺跡公園である

     
 苔谷公園
  神戸淡路鳴門自動車道が開通されるに合わせて整備された公園である。
展望休憩所の眼下には天蓋式自動車道の屋根が眺められその先には瀬戸内海が一望できる   


         
前方部から瀬戸内海の向こうに
淡路島を望む 
  後円部でCLに被葬者について
の解説を聞く 
  後円部から鵯越方面を遠望 

    史跡・五色塚古墳 小壺古墳
  淡路島を望む台地の上に築かれた前方後円墳である。全長194mは兵庫県で一番大きな古墳であり、古墳は国の史跡、出土品は国の重要文化財に指定されている。最初に日本書紀に記事が見られ明治、大正時代には多くの人類学者、考古学者らから注目されていたが、第二次世界大戦中は食糧難から畑として開墾されて荒廃していた。昭和40年ごろから発掘調査が始められ多くの埴輪が出土した。鮒付朝顔埴輪(ふなつきあさがおがたはにわ)、蓋形埴輪、盾形埴輪などが出土していて墳丘上段の周囲にはレプリカを置く形で再現されている。
                *五色塚古墳「千壺古墳」、小壺古墳ともいわれる*

     
     
 五色塚古墳    小壺古墳 
復元後古墳を覆っている葺石は、前方部は築造
当初の淡路産の黒い石であり、
後円部は新たに近辺より調達されたものである
五色塚古墳に隣接する高さ9m2段築成の
円墳である。
現在は金網に囲まれてはいることはできない