・兵庫史を歩くNo.37 妖怪「鵺」に立向う男とは?
・過去2回この企画は中止になっており(コロナと雨)、今日は3度目でやっと好天に恵まれた。
・今回の例会の目的は二つあった。名勝「闘龍灘」の見学と妖怪鵺伝説の伝承地長明寺を訪れることであった。
・丹波に源を発し、高砂で瀬戸内海に流れ込む加古川は全長96kmの兵庫県最大の河川である。
なだらかに流れる川で唯一岩石が流れを遮り、激流が岩の間を飛び越えるように流れる場所がある。
江戸時代の詩人梁川星厳が「激しい流れは まるで竜が戦うようだ」と言ったことから
闘龍灘と名付けられたとか。
本来であればこの岩をつたって歩くことができるが二日前の大雨で流れが激しくロープが張ってあり
立入禁止となっていた残念であった。
・この闘龍灘は年貢米などを運送する「加古川舟運」の最大のネックであった。
舟運は上流と下流に二分された。
米などは闘龍灘の手前で一旦陸揚げされ、下流に運ばれて、再び高瀬舟に積み込まれた。
それでも加古川舟運はおおいに栄え、江戸時代後半には流域には37ケ所の船着場があり、
300艙の船が活躍していたとか。
・もう一つの目的は長明寺である。この付近はかつて平安末期の武将源頼政の所領であった関係で、
頼政の墓や妖怪鵺退治の像がある。鵺の像は日本でここだけであり、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、
手足は虎という化け物である。
弓の名人であった頼政が鵺を退治し、その死骸を丸太船に載せて鴨川に流したところ、
着いた先はなんと我々の地元芦屋 芦屋公園には地元民が祟りを恐れて、供養した「鵺塚」が今もある。 |