山行レポート 

 
2023年6月4日(日) 

     
 闘龍灘の激流と岩礁   源頼政公鵺退治像
(於・長明寺) 

ランク S : 距離 7km : 歩行時間 2時間30分
CL  №1205 T.K : SL №1218 K.K
  参加人数 11名 (男性 3名 ・ 女性 8名)
資料提供 №1205 T.K : 写真&地図&編集 №1807 T.T  

コース&タイム 
  闘龍灘・長明寺・北はりま旬菜館レジメはこちら 地図はこちら 
JR三ノ宮  JR滝野 9:55/10:15 ・・・・闘龍灘 10:35/55 ・・・・


金城池 12:00/05・・・・八十八ケ所めぐり&長明寺 12:25/13:15 ・・・・  


石上神社 13:35/40 ・・・・北はりま旬菜館 13:55/14:20 ・・・・


JR西脇市 14:30/45  JR三宮 16:05



リーダーのコメント 
・兵庫史を歩くNo.37  妖怪「鵺」に立向う男とは?                               
・過去2回この企画は中止になっており(コロナと雨)、今日は3度目でやっと好天に恵まれた。       
・今回の例会の目的は二つあった。名勝「闘龍灘」の見学と妖怪鵺伝説の伝承地長明寺を訪れることであった。   
・丹波に源を発し、高砂で瀬戸内海に流れ込む加古川は全長96kmの兵庫県最大の河川である。
 なだらかに流れる川で唯一岩石が流れを遮り、激流が岩の間を飛び越えるように流れる場所がある。
 江戸時代の詩人梁川星厳が「激しい流れは まるで竜が戦うようだ」と言ったことから
 闘龍灘と名付けられたとか。
 本来であればこの岩をつたって歩くことができるが二日前の大雨で流れが激しくロープが張ってあり
 立入禁止となっていた残念であった。                
・この闘龍灘は年貢米などを運送する「加古川舟運」の最大のネックであった。
 舟運は上流と下流に二分された。
 米などは闘龍灘の手前で一旦陸揚げされ、下流に運ばれて、再び高瀬舟に積み込まれた。
 それでも加古川舟運はおおいに栄え、江戸時代後半には流域には37ケ所の船着場があり、
 300艙の船が活躍していたとか。            
・もう一つの目的は長明寺である。この付近はかつて平安末期の武将源頼政の所領であった関係で、
 頼政の墓や妖怪鵺退治の像がある。鵺の像は日本でここだけであり、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、
 手足は虎という化け物である。
 弓の名人であった頼政が鵺を退治し、その死骸を丸太船に載せて鴨川に流したところ、
 着いた先はなんと我々の地元芦屋 芦屋公園には地元民が祟りを恐れて、供養した「鵺塚」が今もある。                                    


  闘龍灘   

         
闘龍灘河畔を散策    

     
 鮎漁筧とりの仕掛け    渡れなかった中州を俯瞰~闘龍橋より


         
    名勝闘龍灘の碑 加古川舟運開発の祖
阿江与助の像 
  上滝野漁場の碑 


         
丹波の田園風景     野間川   金城池 
闘龍灘 からは丹波の山並みを望みながら約一時間田園地帯をひたすら歩いて金城池に着いた
途中渡った加古川の支流野間川も岩礁と激流の川であった。
リーダー曰く金城池は正面に見えるゴルフ場の建つまでは景勝地であったとか?今は往年の風情は感じられなかった  

  八十八ケ所巡り   

         

金城池の階段上の防護柵をくぐると「四国八十八ケ所巡り」の案内板、54番の祠が見えて
 「 八十八ケ所巡り」が始まる
丁寧にお祀りされた祠が次々現れ岩に彫られた摩崖仏も数か所あった。
巡礼道は結構な登り下り、苔むした岩崖の道もあり巡礼道にふさわしい荘厳な雰囲気が漂う山路である。
ちなみに八十八ケ所巡りは長明寺境内にある頼政池の背後をめぐるようにされている。

         
八十八ケ所巡りの山路道   頼政池   八十八ケ所巡りの山路道 


   長明寺  

     
長明寺本堂   境内の裏にある頼政公の墓 

 
長明寺 頼政公鵺退治の像前にて

  石上神社   

   
  石上(いそがみ)神社本堂 本堂の背後に巨岩が 鎮座している