山行レポート
 
兵庫史№39:播磨 日本遺産「坂越浦」をめぐる  
2023年9月17日(日) 

ランク S : 距離 4km : 歩行時間 2時間30分
CL  №1205 T.K : SL №1218 K.K
  参加人数 12名 (男性 3名 ・ 女性 9名)
資料提供 №1205 T.K : 写真&地図&編集 №1807 T.T 

 
坂越湾に浮かぶ生島(いきしま):妙見寺観音堂背後の広場より 

コース&タイム 
 レジメはこちら 地図はこちら 

JR三宮駅 8:24  JR坂越 9:38/10:00 ・・・ 木戸門跡 10:25/30 ・・・

坂越まち並み館 10:35/50 ・・・奥藤(おくとう)酒造郷土館 10:55/11:15 ・・・

旧坂越浦会所(昼食)11:20/12:10 とうろん台 12:15 ・・・ 大避(おおさけ)神社 12:20/40  

・・・ 妙見寺観音堂 13:00/20 ・・・ 児島高徳墓 13:25 ・・・ 展望広場 13:40/50 ・・・ 

JR坂越 14:40/15:10  JR三宮 16:20
 

リーダーのコメント 
・兵庫史を歩くNo.39 日本遺産「坂越浦」をめぐる                                
・全長ほぼ2kmほどの円弧を描く特徴的な湾と、そこに浮かぶ生島に、風や波から守られた坂越は古くから
 天然の良港として栄えた。特に江戸時代に「西廻り航路」が開設されると、北前船の寄港地として
 一層発展 した。最盛期には坂越に廻船問屋が4軒、船宿が30軒あったとか。
 今回の例会は、そのような北前船の寄港地として栄えた面影をもとめて歩いた。                
・当時高瀬舟で千種川上流から 運ばれた年貢米などを坂越の港に運ぶ大八車が行き来したであろう
 「大道」に沿って、「坂越町並み館」や「旧坂越浦会所」がある。そこに駐在するボランティアの説明に
 みんな聞き入った。特に「旧坂越浦会所」では酷暑の炎天下のもと、
 昼食場所に困っている我々をみかねて、
 裏手の部屋を提供していただいた。感謝である。                                   
・石畳の道が続く大道に沿う家並みは美しく、特に奥藤酒造の付近は、その景観に思わず
 見入ってしまうほどであった。
 これだけの町並みを今なお残しているのは、よほどの努力、郷土愛の賜物だろう。     
・坂越を語るのに外せない人物。それは秦河勝である。渡来人であるが聖徳太子が信頼した実力者であった
 しかし、太子の死後蘇我入鹿の迫害を受け、難を避けるために海路坂越に逃れてきた人物である。
 千種川 流域の開拓を進め、80余才で亡くなった。大避神社の祭神であり、生島に墓がある。      
・大避神社から少し登った所にに観音堂がある。そこから望む坂越湾は絶景であった。
 (そこから少し登った広場からの景色はさらに絶景であった。・・・希望者だけで行った。)                     
 


     

       
坂越駅前でミーティングの後、折からの酷暑の中日傘をさして千種川畔に向かう    


       
千種川畔で高瀬舟舟運の話を聞く 、    木戸門跡にある方位石   木戸門跡 

         
坂越の街並み(大道):中央左は奥藤酒造酒蔵、右は坂越まち並み館    

坂越まち並み館、奥藤酒造郷土館に飾られた資料の数々:説明はレジメ参照    
  奥藤酒造郷土館に残る謂れの柄杓 
 
       
 高瀬舟模型 
    旧奥藤銀行の大金庫     


 
 坂越浦全景
坂越の町並みを過ぎると坂越湾が広がる。
江戸時代には会所の前までが坂越浦と呼ばれ西廻り航路の寄港地と栄えたが、現在は海岸線が
埋め立てられて遊歩道が設けられている 
左手前には旧坂越浦会所がある。左前方にとうろん台、正面に生島を望む



     
 旧会所に飾られた日本遺産の額  旧坂越浦会所 とうろん台:
坂越沖を航行する船舶に
海洋気象を知らせた 

 
大避神社(おおさけじんじゃ))にて 

         
大避神社     大避神社随神門
門正面両脇には左大臣、右大臣が
門背面両脇には仁王像がある

       
大避神社拝殿     日本一古いといわれる舟絵馬   梅原猛句碑 

         
観音堂への入口    観音堂への石崖道    妙見寺観音堂