・兵庫史を歩くNo.39 日本遺産「坂越浦」をめぐる
・全長ほぼ2kmほどの円弧を描く特徴的な湾と、そこに浮かぶ生島に、風や波から守られた坂越は古くから
天然の良港として栄えた。特に江戸時代に「西廻り航路」が開設されると、北前船の寄港地として
一層発展 した。最盛期には坂越に廻船問屋が4軒、船宿が30軒あったとか。
今回の例会は、そのような北前船の寄港地として栄えた面影をもとめて歩いた。
・当時高瀬舟で千種川上流から 運ばれた年貢米などを坂越の港に運ぶ大八車が行き来したであろう
「大道」に沿って、「坂越町並み館」や「旧坂越浦会所」がある。そこに駐在するボランティアの説明に
みんな聞き入った。特に「旧坂越浦会所」では酷暑の炎天下のもと、
昼食場所に困っている我々をみかねて、
裏手の部屋を提供していただいた。感謝である。
・石畳の道が続く大道に沿う家並みは美しく、特に奥藤酒造の付近は、その景観に思わず
見入ってしまうほどであった。
これだけの町並みを今なお残しているのは、よほどの努力、郷土愛の賜物だろう。
・坂越を語るのに外せない人物。それは秦河勝である。渡来人であるが聖徳太子が信頼した実力者であった
しかし、太子の死後蘇我入鹿の迫害を受け、難を避けるために海路坂越に逃れてきた人物である。
千種川 流域の開拓を進め、80余才で亡くなった。大避神社の祭神であり、生島に墓がある。
・大避神社から少し登った所にに観音堂がある。そこから望む坂越湾は絶景であった。
(そこから少し登った広場からの景色はさらに絶景であった。・・・希望者だけで行った。) |
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